当たり前の基準
当たり前の基準を上げていくことが成長なんだと気が付いた。仕事ならなおさらだ。勇気を出す、出さないの選択権なんかそもそも最初から存在していなかったな。
勇気を出すのが当たり前なんだ。仕事を甘く見積もっていた自分がいたことを知った。
それと僕は自分の話ばかりをしてしまっているな。相手が話しているときも直ぐに自分の話に変えようとしてしまう。相手が気持ちよく話してもらえて、聞く姿勢が整ったら自分の話をするように意識しようと決めてもその場になると無意識に自分ファーストになってしまう。
もしかすると、相手の話を聞いて自分が傷つくことが嫌だから意図せずして相手の話を変えて心を防御しているのかも。
もしそうなら、僕は相当なガキだな。でも、それも自分を構成している一つだから受け入れていきたいな。自己成長とは何か特別なスキルや力を手にすることではないのかも、そういうあまり見たくない自分と向かい合って受け入れていくことが自尊心につながり、余計なブレーキがなくなり今までよりもアクセルを踏めるようになる。それを傍から見ると成長しているように思えるのかも。
なんか、今日は変わった心の状態だな。