年始の思い

年始にバイトをしていた。成人式でどのみち実家には帰省するからこっちの福岡に一人で残って交通費を浮かした方が得だと思ったからだ。

 

今日は14時から19時まで5時間働いたわけだが自分の力のなさを思い知った。接客とかコツさえつかめば簡単だと思っていたがそのコツはまだまだ浅いことが分かった。特に礼服のサイズとかは全くだ。今日だけで5つ以上は新しいことを学んだ。

 

知らないことを自分の体と頭を使って学んでいくのは楽しいな。身体と精神の両方を酷使して勉強できることをこれからも続けていきたいな。

 

でも、まだ若いからそんなことを言える。これを20年続けていけるかと言われたら絶対にできない自負がある。なので、身体的にきつくない仕事をする必要がある。

 

今、考えているのは投資だ。まだ日本ではそんなに一般的ではないが自分の将来を考えると絶対に必要だ。だって、働いてお金をもらって、それを使うことばかりしていたらいつまで経っても浪費の貧乏まっしぐらだもんな。

 

周りの人はそんなことは考えていない。考える余裕がないんだ。周りの人の意見を聞く必要があるのは、自分よりもその分野についての確かな根拠がある人だけだ。往々にして、恋は友達に聞いてはいけないな。

 

なぜなら、運命の相手ほど邪魔をしてくるのも友達だから。でも、これは望んでいるものを持っていない人の場合だと思うけどな。

 

いったい何が正しいんだろうか?行動して考えて、また行動する。この繰り返しの先にいつか自分だけの正解を見つけたいな。

 

もしかすると、言葉の重みに落ち着くかもしれないけど。

当たり前の基準

当たり前の基準を上げていくことが成長なんだと気が付いた。仕事ならなおさらだ。勇気を出す、出さないの選択権なんかそもそも最初から存在していなかったな。

 

勇気を出すのが当たり前なんだ。仕事を甘く見積もっていた自分がいたことを知った。

 

それと僕は自分の話ばかりをしてしまっているな。相手が話しているときも直ぐに自分の話に変えようとしてしまう。相手が気持ちよく話してもらえて、聞く姿勢が整ったら自分の話をするように意識しようと決めてもその場になると無意識に自分ファーストになってしまう。

 

もしかすると、相手の話を聞いて自分が傷つくことが嫌だから意図せずして相手の話を変えて心を防御しているのかも。

 

もしそうなら、僕は相当なガキだな。でも、それも自分を構成している一つだから受け入れていきたいな。自己成長とは何か特別なスキルや力を手にすることではないのかも、そういうあまり見たくない自分と向かい合って受け入れていくことが自尊心につながり、余計なブレーキがなくなり今までよりもアクセルを踏めるようになる。それを傍から見ると成長しているように思えるのかも。

 

なんか、今日は変わった心の状態だな。

 

大大人と小大人の話

年齢が20~30ほど違う大大人と話していた。主に「自然は元に戻ろうとする性質があるかどうか?についてだ。

 

この時点で興味がなくなる人もいるだろうが、自分の中で整理できたことを少し書いていこうと思う。

 

自然は初めの状態に戻ろうとする性質がある。これは完全に初めの形態に戻るのではなく、そうしようとする自然の意思があることを伝えようとしていた。

 

例に挙げたのはシーソーだ。シーソーは片方が下がればもう片方は上がる。誰でも知っていることだ。でも、初期状態は左右とも釣り合っていると仮定していた。

 

しかし、それはあくまで理想状態に過ぎなかった。現実のシーソーは初めから片方に落ちていることが多く、自然が元に戻ろうとする性質があることへの説明ができなかった。今思えばそれは状態の話で均一にしようとする自然の意思とは別だと言えたかもしれないな。

 

いや、初めの状態が片側に落ちているなら自然は元に戻ろうとして結果的に初めの状態に戻っているではないか?

 

あれ、なら自分の仮説は全部間違っているわけではなさそうだ。

 

大大人の意見は「自然も動物と同じように環境に適応する」だった。

 

新しい視点だったからとても新鮮だった。よく考えるとそれなら人間が今作り出した環境に適応しなければこの説は筋が通らないはずだ。

 

もし、自然が適応するならば地球温暖化や公害なんて起きないだろう。自然が環境に応じて適応し変わらない環境を作りだそうとするから。

 

一方、自然が進化したとも考えることもできるな。もしかすると、地球温暖化は地球が環境に適応して進化した結果の影響を動物が受けているだけかもしれないな。

 

世の中は広くて深くてとても興味深いな。これからも自分なりに考えてもっと楽しんでいきたい。

二日酔い

昨日は友達と同窓会で居酒屋に行った。特にそんなに飲むつもりはなかったがこの時に実は重大な失敗をしていることに気が付いていなかった。

 

アルコールが早く循環してしてしまう要因は空腹であること、水を飲まないことにある。前者の方は朝8時から何も食べていなかったため吸収が非常に良くなっていた。後者は水を飲むとアルコール濃度が下がるから酔いにくくなることは知ってはいたが実践していなかった。

 

この2つを見逃していたことから食べたものを戻してしまった。そして今日も頭が痛い。お酒との付き合い方を学ぶには高い授業料だったと思う。

 

しかし、それと同時に友達の優しさも知ることができた。自分のものにも触れるのは嫌なのに友達のものに躊躇なく触ることができる優しさとかっこよさには感動した。内心では見下したりしたことがあった。自分では意識していなくても行動や発言に出ていたと思う。

 

それなのに、あんなに優しく接してくれて自分がいかにガキであったか、恥ずかしいことをしていたのかを客観的に理解することができた。

 

前から思うのは、大きな壁であるようなものほど壁のようには見えずにそれがただの風景のように感じる。広すぎてただずっとそこにあるように思うからだ。

 

毎日が新しい発見の連続だ。もっと行動して広い世界を知りたいな。

 

仕事終わりにだらけてしまう

毎日の仕事は最高だ。

 

でも、一つ問題がある。それは家に帰ってからする予定であったことができないことである。もうすぐテストも近く前から勉強しているTOEICもある。

 

ホリエモンが言うには「やればいい」その通りなのである。やればいいだけのことなのに。楽しいことだと知っているのにYoutubeやNetfliexに走ってしまう。この習慣を辞めてもっと先の未来で役に立つようなことに時間を割くことはできるはずだ。そうでなければならない。

 

いったいどんな方法があるだろうか?帰っているときは疲れている。意志力が残っているわけではないから。一度、定位置に着いたらなかなか離れることはできないし止めることもできない。なら初めからしなければいいのだ。自分がしたらマズイことはよくわかっている。

 

なので、そのような行為をしないようにすればいいから家に帰ってきたことを意識するために大きなリセットをしよう。帰ってすぐにご飯やお風呂に入る前に勉強するようにしよう。そうすればグダグダが多少なりとも少なくなる。切りがいい所まで終われせてからだったらその後にグダグダしてもある程度大丈夫になる。

 

そうだ、そうだ、今日やる予定をある程度終わらせてからご飯を食べるようにしよう。帰ってきて直ぐにやると決めていた方が帰って何をするのか考えて疲れることを減らすことが出来そうだ。

 

明日から早速試してみよう。

仕事は楽しい

タイトルにもあるように仕事は楽しいものである。

 

こう言うと、社会の厳しさを理解していないと思われる。全くもってその通りだ。たかがアルバイトで働くことが楽しいだなんてそれは本当の社会の厳しさを知らないからだと言われても何も言い返すことはできないだろう。経験不足は事実だから。

 

でも、それでも仕事は楽しくて生きがいがある。

 

何もしない一日は鬱になって死にたくなる。暇な日が人生をつまらなくさせるのだろうな。僕には一つ幸福になるための条件が分かった。

 

それは、「日常の何気なくあるものは実は奥が深いものばかりであること」である。スーツのバイトをしているのだがネクタイにしても種類があり、Yシャツやジャンバーに合わせてデザインを調整しなければならない。頭を使って考えようと思えば、どこまでも突き詰めていける。

 

仕事はやるのではなく、作り出す感覚。誰かが言っていたこの感覚を自分のものにしてこれから先の長い人生を少しでも楽しめていけたら最高である。

優しさ大切

今日が物理学実験、年内最後の授業になった。いつもは二人一組になるのだが、毎回いない人がいるので一人でやった。

前から思うのは、自分は読解力がないことだ。文字を読むことができてもその書いてある内容を理解して実行することが苦手のようだ。

あ、思いつた。理解と実行を同時にやろうとしているから混乱するのではないだろうか?

初めは理解することに集中してその後に実行をするようにすれば頭の容量を超えた無理な使い方にはならないのではないか?実験だけに限らず全てにおいて言えることだとは思うけど。

さてさて、そんな風に不器用な自分だけれども、何故かしら運には恵まれている。

毎回、周りの人が優秀で優しいのだ。なのでよくお世話になっている。そのなかでも今日は一段とだ。

屈折率の実験だったのだが予想通りに混乱してしまい、途中まで目盛の読み方を間違えていたため実験結果の屈折率の値が参考と大きくズレてしまった。そのため、今日は最後まで残って先生に指導されるハメになるのかと半ばあきらめていた。

そんな時に先に実験を終えた友達がもっと早く帰れたはずなのに待っていて手伝ってくれた。待ってくれていたことだけでも、とても嬉しかった。さらに手伝ってくれて自分の惨めさを感じると同時に感謝の気持ちが湧いた。友達はそんなつもりはなかったと思うけど。

今度からは自分が手伝える側になれるように。気づいたら動けるようになりたい。外は寒かったが内は温かった。